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長男・・・

長野の長男に電話をしました。☎

特にこれといって用事があった訳ではないのですが、

入籍した彼女の状況も心配だったので、

状況確認の電話です。


酔っ払っているので長い話になります。

嫌な方はここで閉じて下さい。m(_ _)m


彼女は結局、岡山市内のアパートを引き払わず、

一人暮らしをしています。(゜ロ゜) マジ?

理由は、病院が近いからとの事です。正直心配です。

長男に彼女のフォローをちゃんとする様に電話で

話をしました。

彼女の両親は時折様子を見に行くとの事でした。

彼女とは、Skypeでやり取りしているみたいです。

長男も今日から仕事で、忙しくなりそうとの事で、

いろんな意味で大変だと思います。


長男は1歳の5月5日のこどもの日に母親に

捨てられました・・・

いや、捨てさせたのは僕かもしれません・・・

当時、母親は20歳で、京都から誰も知らない

岡山の地で、育児を頑張っていました。

僕はというと、営業のノルマを果たすために

休日も返上して仕事ばかりしていました。

当時の所長は、休日でも休みを取ると激怒し

先輩が労働組合に訴えると仕返しにその先輩を

半日以上説教をし営業所に居られなくさせました。

労働基準法も何もあったものじゃなかったです。

正直、休みは、盆と正月のみでした。


僕も馬鹿でした。手を抜くことを知らずに

家庭も顧みず、仕事だけに集中していました。

帰りもいつも深夜になり、家での会話もほとんど

ありませんでした。


原因はもう一つあります・・・

学生時代に同棲していた元カノと別れる為に

浮気したのが元妻でした。

僕は、元妻よりも元カノが好きでした。

いつまでもそれを引きずって元妻を

余り大事にしませんでした。

元妻は、子どもができると自分の方に

振り向いてくれると思い子供を作りました。

しかし、一向に愛情を注がない僕に

愛想を尽かし遠距離恋愛中浮気をしていました。

僕はその事実を京都の友人から聞いていて、

子供が出来たから責任を取って結婚しました。


元妻は育児ノイローゼになり、長男を置いて

京都に帰りました。

後悔しても後の祭りです・・・

今元妻がどう過ごしているのかは全く分りません。


当時住んでいたアパートは線路の脇にあり、

何度、電車に飛び込もうか悩み続けました。

深夜、貨物列車が通る度に「この電車にしよう!」

と思いながら、結局勇気がなく何も出来ませんでした・・・


その後、長男は、実家に預け、僕も退職し

休日のある職場へ再就職しました。

休みの度に長男をレジャーランドや

公園に連れていき、のびのびと遊ばせていました。

僕にとっては、贖罪です・・・

長男にも元妻に対しても償いきれない思いで

長男を育てました。

長男は、「なんで僕にはママがいないの?」と

よく言っていました。

その度に心が締め付けられる思いで心の中で

「ごめん!ごめん!」といつも思っていました。

それから長男は、「ママは居なくなるもの」と

思い、今の母親を「お母さん」と呼ぶようになりました。

なので、我が家では、「パパ」「お母さん」と

少しいびつな呼び方をします。

今の奥さんも長男を本当の子の様に育ててくれました。

それなりに苦労はあったと思います。

よく立派に育ててくれたと感謝しています。

次男坊は、この事実をまだ知りません。

まだ当分話す気はありません。

長男は次男をとても可愛がっています。

7歳年が離れているのも

影響しているのかもしれません。


長男の結婚に対して強く反対できなかったのも

長男に対する贖罪があった為です。

でも、僕と同じような過ちをするのではないかと

とても心配です。

彼女はうつ病のため希死念慮があります。

「いのちの電話」にも何度か電話をしています。

今は状態が安定しているので安心していますが、

いつ再燃するか分りません。

まして、長野という見知らぬ土地での暮らしに

不安がないとも限りません。

20歳同士の結婚です。

まだまだ子供だと思います。

果たして、本当にちゃんとした生活が出来るのか

不安で仕方がありません。

うつ病を抱えた今の僕では長男達にして

挙げられることは余りないと思います。

こんな情けない親でごめん・・・

張り裂けそうな思い出一杯です。

長い文章になりました。

最後まで読んでくださった方に感謝です。









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テーマ : 不安定な心
ジャンル : 心と身体

喧嘩友達・・・

僕は、小学校の時卒業文集で「将来の夢」と

言うのを題材に書きました。

僕の将来の夢は、「サラリーマンになる事」と

成人式の後に掘り起こしたタイムカプセルの

文集に書かれていました・・・

内容は、「どうせ、サラリーマンにしかなれないから、

サラリーマンになる。」という内容でした。

本当に冷めた子供でした・・・


他の人は、「プロ野球選手になる」とか、

「パイロットになる」とか、子供らしい夢を書いていました。

僕の文集は、小学生にしては、夢も、希望もない文集でした・・・


小学校の時には、喧嘩友達がいて、

毎日そいつと喧嘩をするのが日課でした。

その頃の僕は、柔道も習っていて、血の気も

とても多かったです。ある日、4対1で喧嘩になり

4人とも投げ飛ばし、椅子でガンガン殴り

「なんで生きとんならぁ!死ね!死ね!」と

ボコボコにしたことがあります。

その後、親が、校長先生に呼ばれ、

「この子は、危ないですから、気を付けて下さい!」と

言われたそうです。


あいつとはいつもタイマンでそういうことはなかったのですが、

好きになった子も同じで、その子の取り合いで

喧嘩になったこともあります。

そいつには、子供の頃に顔を犬に噛まれて、

眉間から鼻の下まで傷があり、見る限り

強面の感じがするヤツでした。

毎日喧嘩はしていましたが、そいつが怪我で入院した時には、

何故か、毎日お見舞いに行きました。

喧嘩ができなくなり寂しかったのでしょう。

中学生になり、そいつに好きだった子を

「おまえにまかせる!」 と勝手に決め、

あっさり振られたことも今ではいい思い出です。


そいつも19歳の時に、仕事中の事故で亡くなりました・・・

僕は、学生時代、京都にいた為、成人式の時まで

そのことを知りませんでした・・・


タイムカプセルの文集に書かれたあいつの「将来の夢」は

何だったのか・・・今では思い出すことができません・・・

正義感が強く、当時、番長と呼ばれていたヤツにも

堂々と立ち向かっていた勇気を僕は尊敬していました。


それに比べ、今の僕はどうでしょう?

ずっと立ち止まったまま、サラリーマンになることさえ出来ません・・・

このままだと、あいつに笑われてしまいそうです・・・

僕は、いつになったら這い上がれるのだろう?

先の見えない将来に不安を抱く今日この頃です。

読んでくださった方々に感謝です。











テーマ : 思うことをつれづれに
ジャンル : 心と身体

パンちゃんの思い出・・・

今日は雨です・・・

気分が落ち込みます・・・

庭のイロハモミジはまだ紅葉は始まっていません。

ハナミズキは紅葉が終わり葉が散ってきています・・・

秋の庭01

落ち葉の間からはポリゴナムのピンクの花が咲いています。

ポリゴナム
  △ 別のお日の写真です。

こんな雨の日に宅配便で、「こころ工房」で注文していた

パンちゃんのお墓が届きました・・・

でも、よくよく考えるとこの日に指定したのは僕でした・・・

宅配便の人スミマセン・・・(-_-;)

気分が落ち込んでいたこともあり、また、パンちゃんの

元気だった頃を思い出し悲しくなってきました・・・

パンちゃん子供の頃
  △ 子供の頃のパンちゃんです。


パンちゃんのお墓はズシリと重く、

パンちゃんはもっと軽かったなぁと、しみじみ思います・・・

「パン」と掘られている墓石を見ると

本当に死んだんだなぁ~実感します・・・

パンちゃんの墓


撫でてやると、「ブゥ~!ブゥ~!」と嬉しいときに鳴く声が

頭の中に残っています・・・

リビングに出してやると、走り回り喜んでいる姿や、

柱をかじって慌てて捕まえに行ったり、

糞をあちらこちらにポロポロ落とし、拾い回ったりして

それでも、嬉しがっている姿を見ると微笑ましく思ったり、

爪を切るときの顔が怒っているのが分かったり、

怒っている時や警戒している時は足でバンバンと

床を蹴ったり・・・思い出す事が沢山あります。

仕草一つ一つが可愛く、癒しになりました・・・


今日は雨です・・・

雨が余計に気分を沈まします・・・

また天気のいい日にイロハモミジの下に埋めた

パンちゃんの所にお墓を置いてやろうと思います。

ありがとう!パンちゃん・・・

読んでくださった方々に感謝です。







テーマ : うさぎ
ジャンル : ペット

懐かしい思い出の味・・・

昨日、病院のからの帰りに「天下一品」のラーンメンを食べました。
いつもの「こってり・ニンニク入り」を頼みました。僕は、辛子味噌を入れて食べるのが好きです。


「天下一品」は関西ではメジャーで、鶏がらと野菜などをじっくりと煮込んだこってりとしているのに、後味はあっさりしている、透明度ゼロのスープが特徴です。


本店は京都にあり、学生時代京都に住んでいたこともあり、僕にとっては、楽しかったあの頃を思い出す、思い出の味です。
最初に初めて「天下一品」に出会った時は、こんなラーメンがあるんだ!という衝撃を受けたことを覚えています。・・・兎に角、うまい!スープまで全部飲み干しました。(今でも必ず、スープは飲み干します。)



学生時代は最初の2年間は学生マンション(といってもかなりボロい・・・)に住み、仲のいい同じ住人たちとよく食べに行ったものです・・・

いつもみんなでバカ騒ぎ・・・毎日がお祭りのようで、今考えてみると、夢のような時間です・・・


住んでいた、マンションで幽霊騒ぎがありました。

最初に入居した時から御札があちらこちらに貼ってあって、

変だな?とは思っていたのですが・・・

自分の部屋からは毎晩のようにラップ音がして、

「うるさい!」というと止まります。

でも、しばらくするとまた始まります。

ほかの部屋でもCDがピョンと飛んだり、網戸が勝手に動いたり、

挙句には、ロビーになんか青白いものが立っているのが見えたり・・・

地元の人に聞くと、この場所は元々墓地だったそうです・・・


そんな事があっても、怖いとか思うこともなかったのですが、
同じマンションの友達(霊感がとても強かった)が交通事故で死んだこともあり、
両親が心配して、「もっとまともな所に引っ越せ!」ということで、
その後、ワンルームマンションに引っ越すことになりました。


時代はバブル時代、みんなが本当に浮かれていた時代です・・・
その頃の僕は、とても社交的で、友達も多く、明るい性格で、
バイトも適当に楽しくしていました。


彼女もでき、同棲し、車も持っていて、バスケットボールのサークル
活動も活発にやっていました。

彼女との日常生活、会話、一緒にいること、全てが好きでした。

彼女は、京都の田舎の出身で、養女として育ちました。
生い立ちからか、とてもさみしがり屋で、
いつも一緒いなければ安心出来ない性格でした。
槇原 敬之」が好きで、二人でよく音楽を聴いたものです。


「物事は同じものでも、いろんな角度・方向から見ることができるのよ!見る角度によって同じものでも違って見てるから・・・」と
教えてくれたのも彼女でした。今までの自分にはない感性を持っていて、それがとても新鮮で魅力的でした。


バイトが終わると、行きつけのショットバーに行き、彼女と一緒にカクテルを飲むのが好きでした。
この人の為に、僕の一生を掛けてもいいと思える程でした。


毎日がとても楽しく、彼女の幸せを考えることに充実感を覚えていました。この時間がいつまでも続くものと錯覚していました・・・


でも、僕の地元、岡山での就職が決まり、彼女は、「育ての親に、なんの恩返しも出来ていないから京都から離れることは出来ない」とのことで、彼女のさみしがり屋の性格のことも考え、遠距離恋愛は無理だろうと思い、別れることを決心しました・・・


僕は、彼女の性格上、普通に別れるのは、難しいと思い、何を思ったか、浮気をすることを思いつきました。
自分は本当に馬鹿だと思いました。でも、あの頃は、経験のなさもあり、彼女を傷付け、自分から遠ざける事しか思いつきませんでした。本当は、離れたくないという葛藤と、彼女の今後の幸せを天秤にかけました・・・
浮気を知った彼女は当然悲しみましたが、彼女をつけ離す事で、彼女の今後の幸せだけをを願いました・・・


これが、若さなんでしょうね・・・


何年か前に20年ぶりに再会し、当時のことを謝りました。彼女は優しく当時のことを許してくれました。
ずっと心の中で引っかかっていた物が、少しほぐれました。

彼女は3児の母になり、それなりに幸せに暮らしていました。連絡先の交換などはせず、お互いの家庭のこともあり、そのまま別れました。もしかすると、二度と会うこともないなと・・・連絡先を聞かなかったことに対して、後悔もしましたが、それがお互いの為・・・と自分に言い聞かせました。会って、謝ることができたということが奇跡だと思いました。

しかし、心の奥底では、別れたことに対しての懺悔の気持ちや後悔が消えた訳ではありません・・・

当時、別れた直後に、彼女のおじいさんが亡くなったということで、駅まで、送って欲しいと夜中に電話があり、迎えに行ったことがあります。雪が降り積もる中、車での移動中は、二人共無言でした・・・僕が、岡山に帰る前日でした・・・

始発の電車が来るまでの間ただ、沈黙だけが続き、「ごめん!」の一言も言うことができませんでした。
彼女も、その時、色々と考えていたのかもしれません・・・
あの時本当の自分の気持ちを伝え、彼女を引き止めることができたら、運命は変わっていたかもしれません・・・


もしあの時、別れずにいたら、どうなっていたのだろう?・・・
あの時、就職を京都でしていたら結婚出来ていたかもしれない・・・
あの時が、人生のターニングポイントだったのでは・・・

そんな言葉が、この20年心のどこかで囁いていました。20年間気持ちの整理ができないまま過ごしてきました。しかし、彼女との再会は、こんな自分にも許しを請う機会を与えてくれました。彼女と過ごしてきた経験は、きっとこれからの自分の人生に役に立つに違いない。そう思えるようになりました。
今は、彼女に出会えたことに感謝しています。
楽しい思い出をくれた彼女に対して本当に感謝しています。
明るく、前向きだった頃の自分を思い出させてくれることに感謝しています・・・


今までは、本当に精神的に弱っていて、、当時のことを思い出す余裕などありませんでした。
ようやく、当時の自分を少し思い出す事ができるようにまりました。・・・
しかし、、今感じることは・・・


今の自分とは、性格が真逆だな・・・とても惨めな気分です・・・

今の自分には、いろんな角度や方向から物事を見る余裕なんてないな・・・

友達と呼べる人も少なく、何をやっても楽しいと思えない・・・

興味を持つことや趣味と言えるものもない・・・

もし戻れるなら、あの頃の天真爛漫な自分に戻りたい・・・

当時の自分と比べると、どうしても、マイナスの感情がでて、へこみます。
そんな中でも、少しずつですが前を向いている自分がいます・・・
複雑な心境です・・・


今の自分の不甲斐なさに自然と涙が出ます・・・
最近涙もろくなりました・・・


「こってり」ラーメンの懐かしい味の記憶が、いろんなことを思い出させてくれました。


皆さんにも、「もし戻れるならあの時代に戻りたい!」と思える時があると思います。

戻れないことは分かっています。それでも、僕は、辛い時には、「楽しかった頃の思い出」に現実逃避しても良いのではないかと思います。「楽しいと思えること」これだけで、いい薬になると思うからです。今はまだ、そういった気持ちになることはありません。
これから少しづつ、「楽しいこと」を見つけていけたらなぁ~と思います。


それで、今の自分が救われ、精神的に少しでも安定するなら・・・


読んでくださった方々に感謝です。



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テーマ : 不安定な心
ジャンル : 心と身体

中庸(ちゅうよう)・・・

何でもそうですが、物事には中庸というのが必要です。

今更ながら思うのですが、これが出来ていればうつ病に

なっていなかったかもしれません。

仕事をしていた時もそうでしたが、頑張りすぎたり、

神経質になりすぎたり、思い込みが強すぎたりと

多分、そのせいで、今までいろんな人にも

迷惑を掛けて来たのかもしれません・・・

今思えば、うつ病になったのは、会社での出来事が原因だけでなく、

自分自身にも、原因があったんだなぁと思います。

頭の中では、解っているのですが、

ついついやり過ぎてしまう自分に反省です・・・

今の自分を変えたい!とは思いますが、とても難しい問題です。

学生の頃は、こんな性格ではなく、もっと楽観的な性格でした。

いつも、「どうにでもなるさぁ~」と気楽なもんでした。


最初に社会人になってした仕事は自動車販売の営業でした。

お金が絡むため、人間の汚い部分を沢山見てきました。

人間は残酷で、醜いという固定観念が生まれました。

それは、他人だけではなく、自分自身にも当てはまりました。

人間である自分のことが、嫌いになっていきました・・・

車を売り、ノルマを達成する為には自分の意に反していても、

どんな汚いこともやりました。

仕事に責任を持つのは当たり前!と思う人もいると思いますが、

とにかく、会社の人に認められたい・・・

ノルマを達成して、会社に貢献したい・・・

自分の居場所を確保したい・・・必死でした・・・

当時の会社でこんなことを言われました。

「100%仕事をするのは当たり前、

120%して、初めて仕事をしたと言うんだ!」所長の言葉です。

つまり、100%努力してもそれは当然なことで、結果を出す為に

120%の努力をし会社に貢献しなさい。ということです。

社会人1年目で社会のことがまだ全然解っていなかった自分には、

真正直に受け取り、常に120%の努力を惜しみませんでした。

この言葉が、その後の自分の仕事に対する考えになり、

人生そのものの考えに変わっていきました。

その考えが極端になりすぎて、

そのうちに完璧に物事が進まないと、気がすまない・・・

自分自身が犠牲になってでも、目標を達成しなければならない・・・

目標を達成するためなら何をやってもいい・・・

そんな歪んだ考えの人間になっていきました。

営業という仕事は、

笑いたい気分でもないのに笑わなければならない・・・

笑顔でいなければいけない・・・

嘘で塗り固められた自分が本当に嫌になりました。

その頃、「顔は笑っているけど目が笑っていない」とよく言われていました。

今は、純粋に・単純にただ笑いたい・・・そう感じています。

笑うことが出来るようになれば1歩づつですが、

前に進んでいけそうに思います。

読んでくださった方々に感謝です。











テーマ : 心の持ち方
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

SAKURA FUBUKI

Author:SAKURA FUBUKI
今、生きてるよ!という思いでこのタイトルを付けました。
40代のおじさんです。
日々うつ病で苦しんでいます。うつ病と向き合うために自分の気持ちの整理も兼ねて、同じうつ病で苦しんでいる人達にも読んで貰いたくてブログを始めました。
自分自身の記録として、将来「こんな時もあったよなぁ~」と家族で笑える日が来るといいなぁと思っています。(いつになるか解りませんが…)
読んでくださった方々に感謝です。

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